紀元前687年、斉の襄公は政治が安定せず、国民は不満を募らせ、国は大混乱に陥っていました。公子小白は鮑叔牙の保護のもと莒国へ亡命、管仲は公子糾に従い魯国へ逃れました。その後、公孫無知が君主を弑逆し自立するも、すぐに乱兵によって殺害され、君位が空位となります。公子糾と小白は、この知らせを聞きつけ、急いで斉国へ戻り君位を争おうとしました。
管仲は兵を率い、莒と斉を結ぶ要所に待ち伏せ、小白の乗る車が近づくのを見て、矢を放ち小白を射倒しました。管仲は小白が確実に死んだと思い込み、公子糾一行と共にゆっくりと斉国へ向かいました。しかし、管仲の矢は小白の衣帯にかすっただけで、小白は舌を噛み血を吐き、死んだふりをして管仲を欺いたのです。管仲が去った後、小白は鮑叔牙らと共に急ぎ近道を通り、昼夜兼行で斉国の都へ向かい、見事君位を奪取し、桓公として即位しました。
斉の桓公は鮑叔牙を宰相に任命しようとしましたが、鮑叔牙は固辞し、管仲を推薦しました。彼は言いました。「管仲は幼い頃からの私の親友であり、この人物には天地を揺るがすほどの才能があります。彼を宰相に任命すれば、斉国はすぐに強盛になるでしょう。」
斉の桓公は不快感をあらわにしました。「管仲は私を射殺しかけた男だ。どうして仇敵を重用できるだろうか?」
鮑叔牙は言いました。「管仲は公子糾を君位に就けるためにそうしたのです。国君は私怨を忘れ、斉国の大業を優先すべきです。この稀代の人材を失ってはなりません。」
桓公は説得され、管仲を重用することを決意しました。彼は魯国へ人を派遣し、魯の荘公に言いました。「我が君は管仲の一件で受けた恨みを晴らしたいので、彼を斉国へ引き渡してください。」
魯の大臣である施伯は、管仲が斉へ戻れば重用され、将来魯国にとって不利になると考え、荘公に人質を引き渡さないよう諫めました。荘公は斉国から罪に問われることを恐れ、管仲を囚人車に乗せ、国境へ護送しました。
囚人車の中で、管仲は故郷へ帰ることを心待ちにしていました。彼は自分が斉国へ帰れるのは親友である鮑叔牙のおかげだと知っていました。自分の才能を発揮する機会がもうすぐやってくるのです。しかし、囚人車を護送する兵士たちの行軍速度は遅々として進みません。管仲は、荘公が万が一考えを変え、追っ手を差し向けるのではないかと焦り、囚人車の中で『黄鴿』という歌を作り、兵士たちに歌って聞かせました。二、三度歌うと、兵士たちにも一緒に歌うように促しました。兵士たちは歌を聞き、歌を覚えるうちに疲れを忘れ、行軍速度は徐々に速くなり、二日かかる道のりを一日半で到着することができました。
斉国の君臣が管仲を迎えるのと同時に、魯国の公子偃も兵を率いて追ってきました。実は、荘公はやはり考えを変え、管仲を斉へ帰すことは虎を野に放つようなものだと気づき、急いで追殺を命じたのです。幸運にも、管仲は自作の歌によって貴重な時間を稼ぎ出すことができました。
斉の桓公は徳をもって怨みに報い、賢人を重用することで、非凡な治国の遠見を示しました。管仲は斉の桓公に心服し、「国都を士郷、土商郷に分け、鄙野を五属に分け、士は三回の審査を経て上卿の賛となり、塩鉄を発展させ、…」など一連の治国策を提案し、国力を大いに高めました。
その後、数年にわたる改革と変法、そして励精図治により、斉国はついに春秋時代の最初の覇者となったのです。