封神演義で、土行孫ほど悲惨な最期を遂げた者はいないでしょう。黄天化や楊任のように戦場で華々しく散ったのではなく、長年修行した夹龍山で、自身の得意技である地行術によって命を落としたのです。張奎の地行術が、土行孫よりも優れていたからこそ起きた悲劇でした。
では、なぜ張奎の地行術は土行孫よりも優れていたのでしょうか?今回はその理由を3つのポイントに絞って解説します!
封神演義の原文では、土行孫は一日千里、張奎は一日千五百里を移動できると記述されています。つまり、張奎は土行孫よりも一日五百里も速く移動できるのです。同じ距離を移動するのに、土行孫が3日かかるのに対し、張奎は2日で済む計算になります。この差は一体どこから来るのでしょうか?
1.修行の深さが違う!土行孫は師である惧留孫に百年間師事しましたが、まだ童子の姿をしています。一方、張奎は修行期間や師については明確な記述はありませんが、油ぎった大人の姿をしています。このことから、張奎の方が年齢も道行も深く、地行術の修行期間も長いと推測できます。修行期間が長ければ、地行術の腕も上達するのは当然と言えるでしょう。
2.体格差がスピードに影響!?渑池の戦いで、張奎と土行孫は地中で戦いました。原文には「張奎は体が大きく、動きが鈍い。土行孫は体が小さく、動きが俊敏である。」と記述されています。しかし、現実世界では、背の高い人と低い人が競争すれば、背の高い人が有利です。歩幅が違うからです。同様に、張奎は土行孫よりも体格が大きいため、地中での移動速度も優位だったと考えられます。
3.障害物を突破できるか!?地中を移動する際、石などの障害物に遭遇することがあります。道行の深い張奎は、石を破壊して進むことができますが、道行の浅い土行孫は、石を迂回するしかありません。この点も、張奎の移動速度が土行孫よりも速い理由の一つと言えるでしょう。
以上が、張奎の地行術が土行孫よりも優れていた3つの理由です。道行の深さ、体格、そして障害物の突破力。これらの要素が重なり、土行孫は悲劇的な結末を迎えることになったのです。あなたは、この考察をどう思いますか?