明朝嘉靖帝の時代、悪名高い奸臣・厳嵩は、皇帝に取り入り、権勢をほしいままにしました。その息子、厳世蕃はさらに悪辣で、「嘉靖王朝No.1の鬼才」とまで呼ばれました。しかし、彼は本当にただの悪党だったのでしょうか?彼の才能の秘密に迫ります!
博覧強記!驚異的な知識量
父・厳嵩自身も優れた人物で、幼い頃から学問に励み、科挙に合格しています。その影響を受け、厳世蕃も幼い頃から書物を読み漁りました。ドラマ『錦衣之下』では、文武両道で頭の回転が速い人物として描かれています。
父親のコネで役人になったものの、その後の活躍は彼の才能によるものでした。工部侍郎に就任すると、工事現場を視察する際、帳簿と現場を見るだけで、工事の質を見抜いたと言われています。
皇帝の心を掴む!人心掌握術
厳世蕃は、父以上に嘉靖帝の心を理解することに長けていました。嘉靖帝は道教に傾倒し、「青詞」と呼ばれる独特の文体で命令を下しましたが、多くの大臣はその意味を理解できず、皇帝を怒らせていました。しかし、厳世蕃は常にその真意を理解し、父親も頼りにしていたほどです。
父・厳嵩が老齢になり、政務に手が回らなくなると、厳世蕃が代わりに奏状に目を通し、皇帝の意向に沿った回答を作成しました。その的確さから、皇帝からの評価も高かったのです。
私欲の果てに…破滅への道
権力を握った厳世蕃親子は、誰にも負けないと思い込み、私欲を肥やし続けました。金銭への執着は異常で、役人の地位を金で売り買いし、賄賂を受け取り、親王にまで賄賂を要求する始末。1564年、御史の林潤が厳世蕃を倭寇との通謀で告発し、明世宗は激怒。厳世蕃は逮捕され、死刑判決を受けました。