今回は、革命家でありながら、一度は失脚した李立三(りりっさん)の数奇な運命を紐解きます。彼は一体何をしたのか?そして、どのような人生を歩んだのでしょうか?
1899年、湖南省に生まれた李立三。本名は李鳳生(りほうせい)といい、革命運動に参加するために自ら名前を改めました。上海での革命活動を経て、湖南省で労働運動を精力的に展開し、多くの労働者の支持を集めました。
若くして党の要職に就いた李立三ですが、1930年代に「立三路線」と呼ばれる極左冒険主義的な政策を推進し、これが大きな失敗に終わります。
「都市から革命を起こす」という彼の路線は、毛沢東の「農村が都市を包囲する」という戦略とは真逆でした。結果、「立三路線」は失敗に終わり、彼は指揮権を剥奪され、ソ連に送られて反省することになります。
しかし、ソ連での生活も平穏ではありませんでした。かつての政敵に陥れられ、投獄されてしまうのです!一体どうなる李立三!?
辛くも釈放された李立三は、帰国後、名前を変えて活動を再開します。過去の過ちを隠すことなく、自らが「立三路線」を推進した張本人であることを公言しました。
過ちを認め、そこから学び成長した李立三。新中国成立後、彼は再び要職に就き、国のために尽力しました。しかし、文化大革命の時代に不遇な死を遂げます。その後、名誉は回復され、彼の功績は再評価されることとなりました。
李立三の人生は、まさに波乱万丈。彼の物語は、過ちから学び、成長することの大切さを教えてくれます。