巨鹿の戦いは秦末の動乱期、項羽率いる数万の楚軍が、秦の名将・章邯と王離率いる50万の精鋭秦軍に挑んだ戦略的な大決戦!歴史に残る奇跡的な勝利として知られています。項羽は船を焼き払い、退路を断ち、数倍の敵に立ち向かい、見事勝利を収めたのです。
この戦いで秦軍は主力部隊を失い、帝国は崩壊寸前。項羽は「西楚の覇王」としての名を轟かせます。戦後、諸侯は項羽に謁見する際、跪いて進み、項羽は名実ともに諸侯軍の総帥となり、秦末の動乱における最強の力を手に入れたのです。
しかし、この戦いを改めて見ると、疑問が湧いてきます。項羽は一体どれほどすごかったのか?数万の兵で50万を打ち破るとは、一体どうやって成し遂げたのでしょうか?その謎を解き明かしましょう。
まず、項羽が並外れた英雄であったことは間違いありません。「西楚の覇王」の名に恥じない人物です。数万で50万に挑むなんて、普通は考えられません。項羽が強いのは分かりますが、他の楚軍兵士は怖くなかったのでしょうか?そこで項羽は「破釜沈舟(はふちんしゅう)」、つまり船を焼き払い、釜を壊すことで、退路を断ちました。「勝つか死ぬかしかない!」と兵士たちを鼓舞し、兵士たちは一騎当千の勢いで戦ったのです。
しかし、話はそんなに単純でしょうか?船を焼き払えば、兵士は皆、一騎当千になるのでしょうか?私はそうは思いません。項羽以降、「破釜沈舟」は故事成句となりましたが、同じように勝利した将軍は現れていません。
「破釜沈舟」という言葉だけでは足りません。まず、主将が圧倒的なカリスマ性を持つ必要があります。兵士が「私に続け!」と思えるような存在でなければなりません。「私にやらせろ!」ではダメなのです。そして、主将は軍隊を完全に掌握している必要があります。「目の前に50万の敵がいるぞ!」と言った時、兵士たちが逃げ出すか、ついてくるかは、主将の力量次第なのです。
項羽は政治力では劉邦に劣りますが、兵を率いる才能、兵を愛する心は抜群でした。側近は皆、項羽が江東から連れてきた腹心ばかりだったからこそ、項羽の言葉に従ったのです。
もう一つの理由は、秦軍が完全に油断していたことです。秦軍は、数万の兵が50万の大軍に突撃してくるとは予想していませんでした。そのため、楚軍の猛攻に陣形を乱され、古代の戦いにおいて最も重要な陣形が崩れたのです。陣形が崩れると、いくら兵士が多くても力を発揮できません。むしろ、多すぎることがマイナスになることさえあります。そのため、楚軍の一撃で秦軍は敗北したのです。
いずれにせよ、巨鹿の戦いは歴史に刻まれるべき大戦です。しかし、無敵を誇った項羽は、劉邦に敗れてしまうのです。