【衝撃】宋の時代、酒場で「肉!」と頼むと出てくるのは牛肉じゃない!?意外な真実に迫る! #宋 #歴史 #グルメ #雑学

「腹が減っては戦はできぬ!」古今東西、食は文化の中心。時代劇でお馴染みの「小二、肉を切れ!」のシーン、あれって一体何の肉!?

水滸伝の豪傑たちも、酒とともに肉を喰らう!「小二、牛肉二斤と上等の酒を!」

…でもちょっと待って!本当に牛肉だったの?

宋代を舞台にした物語では、酒場で牛肉を注文するシーンがよく見られます。

しかし、実は宋の時代、牛肉を食べることはタブーとされていたんです!場合によっては犯罪扱い!?

当時、農業は経済の根幹。牛は農作業に不可欠な存在でした。

人々は牛に感謝し、大切にしていたため、屠殺することに抵抗があったのです。

さらに、牛を屠殺すれば農作業に支障をきたし、食糧生産にも影響が出ます。

そのため、牛は厳しく管理され、飼育数も制限されていました。牛が逃げ出せば、役所も大騒ぎになるほど!

生きている牛だけでなく、死んだ牛も勝手に処理することは許されず、役人の指示を待つ必要がありました。元朝では、牛馬の屠殺を禁じる法律まで存在したほどです。

宋末期には、牛肉食禁止の規定は形骸化し、江南地方では密かに牛肉を食べる人もいましたが…。

取り締まりが追いつかず、ついに牛肉税を徴収するようになったとか!

こうして牛肉は、一部の特権階級の食べ物となっていきました。

牛肉は美味しく、滋養強壮にも良いとされていましたが、庶民にとっては高嶺の花。牛肉が食べられるのは、特別な身分の人だけだったのです。

当時の牛肉の価格は?庶民には手が出せない代物でしたが、貴族たちは死んだ牛の肉を食べていたようです。その価格は、なんと七品官の給料2ヶ月分!

朱元璋も、地主の牛を屠殺したことで、危うく命を落としかけたという逸話が残っています。

では、一体何の肉を切っていたのか?

牛肉ではないとすると、現代で一般的な豚肉でしょうか?実は、宋の時代、豚肉はあまり好まれていませんでした。

東京夢華録には養豚の記述がありますが、当時の養豚環境は劣悪で、豚は不潔なイメージを持たれていました。

肉の加工技術も未熟で、豚の毛が残っていることも珍しくなく、貴族たちは豚肉を嫌ったのです。

「重文軽武」政策の影響で、士大夫階級も豚肉を敬遠する傾向にありました。

しかし、庶民にとっては、豚肉は貴重なタンパク源。最も多く食べられていた肉でした。

当時の首都・汴京では、1日に1万頭以上の豚が消費されていたとか!宮廷でも、年間数千斤の豚肉が消費されていたそうです。

つまり、水滸伝に出てくる「肉」は、豚肉だった可能性が高いのです!

豚肉の地位を向上させたのは、あの有名な「東坡肉」。蘇軾が考案したこの料理によって、豚肉の美味しさが再発見され、豚肉は一躍人気食材となったのです!