中国・广西チワン族自治区。ここは伝説に彩られた土地。特に抗日戦争時、狼兵(ろうへい)と呼ばれた兵士たちの勇敢さは語り草!今回は、クイズ形式で广西の歴史を紐解きます!
Q:日本軍は广西を完全に占領できた?
A:
いいえ!一時的に占領した地域はあったものの、广西軍民の抵抗により、実効支配はできませんでした。日本軍が3ヶ月以上占領できた都市は一つもなかったんです!ゲリラ戦が頻発し、傀儡政権も根付かず…。广西の抗戦がいかに強固だったかがわかりますね!
Q:狼兵ってどんな兵士?
A:
广西の兵士は、その勇敢さから「狼兵」と呼ばれました。1939年の昆仑関(こんろんかん)の戦いでは、桂軍(けいぐん)と中央軍が協力し、日本軍最強と言われた第五師団の第21旅団を全滅!旅団長の中村正雄(なかむらまさお)も戦死!日本軍の機械化部隊の「不敗神話」を打ち破ったんです!日本軍の戦報には「まるで死神と戦っているようだ!」と悲痛な叫びが…。
Q:桂林保衛戦(けいりんほえいせん)はどんな戦い?
A:
1944年、桂林を守る戦いでは、桂軍の主力部隊が移動させられ、わずか2万人の地方部隊と新兵が15万人の日本軍と戦いました。地形を利用して陣地を構築し、14日間死守!ほぼ全滅という犠牲を払いながらも、6000人以上の日本兵を倒しました。日本軍の指揮官も「これほど悲惨な戦いは今までなかった」と認めるほど。
Q:李宗仁(りそうじん)と白崇禧(はくすうき)って誰?
A:
1926年の北伐(ほくばつ)で、李宗仁と白崇禧率いる桂系軍閥は、鎮南関(現在の友誼関)から山海関(さんかいかん)まで北上!その勢力は湖南省、湖北省、安徽省、河南省にまで及びました。1929年の蒋桂戦争(しょうけいせんそう)まで、華南、華中の広大な地域を支配!当時最強の地方軍閥の一つと言えるでしょう。
Q:李宗仁はどんな政策を行った?
A:
1930年代、李宗仁は「三自三寓(さんじさんぐう)」政策を推進しました。
Q:蒋桂戦争後、李宗仁と白崇禧はどうやって广西をコントロールした?
A:
Q:長征(ちょうせい)時、白崇禧はなぜ紅軍(こうぐん)を追い詰めなかった?
A:
1934年、紅軍が桂北(けいほく)を通過した際、白崇禧は「送客式追撃(そうきゃくしきついき)」という、見送るような追撃を行いました。湘江戦役(しょうこうせんえき)では、あえて紅軍のために道を開け、象徴的な交戦しか行いませんでした。その理由は…
Q:今も残る桂系軍閥の影響は?
A:
南京、上海、武漢などには、桂系軍閥の北伐の功績を記念した「广西路(こうせいろ)」があります。例えば、上海の「桂林路(けいりんろ)」は、1927年の桂軍の「清党(せいとう)」への参加が由来。南京の「白下路(はくかろ)」は、白崇禧の部隊が最初に突入したことに由来します。これらの道路名は、民国時代の桂系軍閥の影響力を今に伝える歴史的な証拠です。
「狼兵」の死闘から「模範省」建設まで、广西は近代史において不屈と革新の歴史を刻みました。この歴史は「广西精神」を形作り、今日の民族団結と愛国教育に貴重な遺産を提供しています。過去を銘記し、未来へ進みましょう!