傾国の美女、趙合徳。漢成帝を虜にした彼女の死には、数々の謎が隠されています。殉死?それとも暗殺…?歴史の闇に葬られた真実を紐解きます!
(本記事は「司馬談歴史」チームによるオリジナルです。無断転載はご遠慮ください。)
古代中国では、皇帝の死後、子を持たない妃が殉死させられることがありました。これは、次の世でも皇帝に仕えるという意味合いがありましたが、残酷な制度でした。ドラマ『武媚娘伝奇』にも、その様子が描かれていますね。
趙合徳も、漢成帝の寵愛を受けた妃でしたが、彼女の死は殉死とは異なるようです。彼女は、漢成帝の死後、殺害されたのです。一体なぜ…?
姉の趙飛燕は皇后として権勢を振るったのに、妹の趙合徳はなぜ殺されなければならなかったのでしょうか?
実は、漢成帝の死因が大きく関係しています。彼の死は、皇室にとって不名誉なものでした。それを隠蔽するために、趙合徳はスケープゴートにされたのです。
漢成帝は、趙飛燕、趙合徳姉妹を溺愛し、彼女たちのために贅沢三昧の日々を送っていました。特に趙合徳は、成帝の衰えゆく体に鞭打つように、媚薬を勧めていたと言われています。そして、ある夜、趙合徳との閨房で、漢成帝は息を引き取ったのです。
皇帝が、寵愛する妃との最中に亡くなる。これは、皇室の威信を大きく傷つけるスキャンダルです。さらに、成帝の死によって朝廷は混乱し、政局は不安定になりました。太皇太后は、この事態の責任を趙合徳に押し付け、彼女を抹殺することで、皇室の体面を保とうとしたのです。趙合徳の死は、単なる殉死ではなく、政治的な思惑が絡んだ暗殺だったのです。