【裏話】建国秘話!贺龙が彭德怀に「どうしても欲しい男がいる!」一体誰!?

1952年の秋、成都軍区司令部会議室。2人の老将軍が意味深な会話を交わしていました。体格の良い贺龙は神妙な面持ちで、向かいに座る彭德怀は少し戸惑っている様子。空気中にはタバコの香りが漂い、これから起こる人事異動を予感させていました。

【2人の開国元勲の革命生涯】

贺龙と彭德怀と言えば、誰もが知る大人物。2人の老将軍は革命戦争時代に名を馳せ、開国元勲の中でも柱となる存在でした。

贺龙は南昌起義の総指揮官、紅二方面軍の創設者。豪快な性格で、戦場では勇猛果敢。毛主席も親しみを込めて「贺老总」と呼んでいました。一方、彭德怀は紅三軍団の創始者、八路軍の副総指揮。冷静沈着な戦いぶりから、毛主席に「彭老总」と呼ばれていました。2人は開国元帥の中でもトップクラスの人物です。

2人は苦労を重ねてきた叩き上げ。贺龙は紅二方面軍を率いて各地を転戦し、彭德怀は八路軍を率いて敵陣を遊撃しました。日中戦争勃発後、2人は八路軍の主力将軍となり、抗戦勝利に大きく貢献しました。

解放戦争時代には、贺龙が西南地方を解放し、彭德怀が西北地方を解放。2人の老将軍は新中国の誕生に多大な貢献をし、その功績は計り知れません。

【贺炳炎という若き将軍】

贺龙と彭德怀の今回の会話は、贺炳炎という若き将軍がきっかけでした。贺炳炎はただの兵士ではなく、贺龙の右腕とも言える存在だったのです。

贺炳炎は16歳から贺龙と共に戦い、彼が成長するのを見守ってきました。勇敢で指揮能力にも長けており、贺龙からの信頼も厚かったのです。紅軍時代には団長となり、数々の戦功を立てて師団長に昇進しました。

彼は戦えるだけでなく、非常に我慢強い男でした。ある戦闘で右腕を負傷した際、麻酔もなく、医者はノコギリで腕を切断するしかありませんでした。しかし、彼は一言も発することなく耐え抜いたのです。まさに鉄人です!

日中戦争時代、贺炳炎は贺龙の八路軍120師団で団長、旅団長を務め、贺龙と共に各地を転戦しました。その後、解放戦争が勃発すると、彭德怀の西北野戦軍に異動し、縦隊司令官となりました。どこに行っても一人で任務を遂行できる彼は、2人の老将軍から高く評価されていました。

【2人の老将の「争奪戦」】

贺炳炎があまりにも優秀だったため、彼は2人の老将軍にとって「引っ張りだこ」の状態になりました。解放戦争勝利後、彭德怀は贺炳炎を青海省の軍区司令官に任命しました。しかし、青海省は環境が厳しく、贺炳炎の古傷が悪化してしまったのです。

贺龙はこれを聞き、心中穏やかではありませんでした。「彼は俺が育てた兵士だ。体が悪くなったのなら、何とかして取り戻さなければ」と考え、冒頭の場面へと繋がるのです。

贺龙は彭德怀に会い、率直に言いました。「彭よ、贺炳炎のやつは体が弱っているから、青海省は合わない。あいつを俺に返して、ここで療養させてくれないか?」

彭德怀はこれを聞き、内心葛藤しました。贺炳炎は有能な人材であり、手放したくなかったのです。しかし、彼の体を壊してしまっては意味がありません。それに、贺龙の部下だったことを考えると、ここは恩を売っておくのが賢明でしょう。

こうして、2人の老将軍は互いに譲らず、「穏やか」な人材争奪戦を繰り広げました。一方は部下を取り戻したいと考え、もう一方は手放したくない。この駆け引きは、一見平和に見えますが、裏には様々な思惑が隠されていたのです。

【天秤と決断】

贺龙は彭德怀がすぐに承諾しないのを見て、理を説き、情に訴えかけました。「彭よ、考えてもみてくれ。炳炎は幼い頃から俺と一緒に戦ってきた。みんな家族だと思っている。今、あいつの体は弱っている。青海省のような場所では、耐えられないだろう。」

彭德怀は眉をひそめました。「贺老总、あなたの気持ちはよく分かります。しかし、西北地区は今まさに人材を必要としているのです。炳炎同志は体調に問題を抱えていますが、仕事の能力は非常に高い。」

贺龙は彭德怀の言葉の裏にある意味を理解し、諦めずにこう続けました。「彭よ、西北地方が人材不足なのは承知している。しかし、炳炎を酷使してしまっては元も子もない。彼を俺のところで療養させれば、体調が良くなって、もっと大きな活躍ができるかもしれない。」

彭德怀はこれを聞き、深く考え込みました。贺炳炎を残せば多くの問題を解決できるが、酷使してしまえば大きな損失となる。それに、贺龙は贺炳炎の元上官であり、ここは恩を売っておくべきだろう。

彭德怀が思案していると、贺龙はさらに大きな爆弾を投下しました。「彭よ、あなたは知っているはずだ。俺は今、西南軍区にいて、経験豊富な将軍を必要としている。炳炎が来てくれれば、西南の仕事も大きく助かる。体を休めながら、国に貢献できるのだから、一石二鳥ではないか?」

この言葉は彭德怀の弱点を突きました。老革命家として、彭德怀が最も重視するのは国家の利益です。贺炳炎の異動がより大きな利益をもたらすのであれば、自分の意見に固執するのは賢明ではありません。

熟考の末、彭德怀はついに決断しました。贺龙を見つめ、ゆっくりと言いました。「贺老总、あなたの考えはよく分かりました。それならば、あなたの言う通りにしましょう。ただし、炳炎同志の体をしっかりとケアすることを約束してください。」

この答えを聞いた贺龙の顔には、すぐに喜びの笑顔が浮かびました。「任せてくれ彭、必ずあいつの体をしっかりケアする。体調が良くなれば、必ずや国のために新たな功績を立ててくれるだろう!」

こうして、駆け引きの末、贺炳炎はついに贺龙の元に戻ることになりました。この一見単純な人事異動は、2人の老将軍の知恵と度量を示しています。彼らは個人の感情を考慮し、国家の利益を天秤にかけ、最終的に双方にとって最良の決断を下したのです。

革命勝利後も、先輩革命家たちは国の建設のために尽力していました。彼らの決断の一つ一つが、国の発展と人々の幸福に繋がっていたのです。

贺炳炎はその後、西南地方で要職に就き、地域の発展に大きく貢献しました。しかし、長年の怪我と病気に苦しみ、1960年に成都で亡くなりました。享年47歳でした。

この歴史を振り返ると、私たち自身の犠牲を厭わず、国のために尽くした革命の先人たちがいたからこそ、今日私たちが幸せに暮らせているのだと実感します。彼らの精神は、私たちが永遠に記憶し、学ぶべきものです。