姜子牙(きょうしが)って、子供の頃アニメで見たことある人も多いんじゃない?
『封神演義』でおなじみの超重要人物だけど、実は彼、実在の人物なんだよね。しかも、物語とほぼ同じような活躍をしたんだから驚き!
…でもね、姜子牙の晩年は、物語とは全然違うんだ。
周王朝を支えた大功労者なのに、なんと、彼の死後、子孫が周の王室によって煮殺されちゃったんだって!一体何があったの?
今日は、姜子牙とその一族にまつわる驚愕の真実を語っちゃうよ!
一、まさかの冷遇!?功績に見合わない領地
物語の中では、周の武王からの信頼も厚く、いわば右腕だった姜子牙。
周が殷を滅ぼした後、当然のように最高の褒美が与えられる…はずだった。
しかし、現実は違った!
なんと、与えられたのは普通の斉(せい)王という地位。しかも、領地も特別豊かな場所ではなかったんだ。
現代の山東省は豊かな場所だけど、当時はそうじゃなかった。
開国の功臣をそんな場所に封じるなんて、信じられないよね。
他の功臣たちが手厚い褒美を受けていたのとは対照的で、謎は深まるばかり…。
それでも、姜子牙は文句も言わず、斉王として生涯を終えたんだ。
…でも、彼の家族はそうはいかなかった。
二、姜子牙一族、まさかの暴走!?
みんなが知ってる姜子牙って、正義感にあふれた立派な人物だよね。
でも、歴史書に書かれている彼は、ちょっと違う一面も持っていたんだ。
周の武王が亡くなった後、姜子牙は周の成王を後継者として支えたんだけど、実はこれ、自分の娘である邑姜(ゆうきょう)の息子、つまり自分の外孫を支えるためだったんだ!
自分の権力のために、外孫を担ぎ上げた…ってこと!?
もちろん、周王朝の安定に貢献したのも事実だけど、そこには私情も絡んでいたんだね。
その後、姜子牙は周の康王の時代まで生き抜き、盛大な国葬で見送られたんだ。
しかし、姜子牙の死後、一族は力を増し、周王室を軽んじるようになったんだ。
当時の周王室はすでに弱体化していて、諸侯国をコントロールできなくなっていたんだね。
三、斉の哀王、ついにブチ切れられる!?
そんな中で、特にヤバかったのが姜子牙の子孫、斉の哀王(せいのあいおう)!
彼は周王室への不敬な態度を隠そうともせず、公然と反抗的な態度を取り続けたんだ。
そしてついに、周の夷王(いおう)の怒りを買う事件が…!
夷王が病気で朝廷に出られなくなった時、諸侯は使者を送って見舞ったんだけど、哀王は見舞いにも行かず、宴会を開いて夷王を侮辱したんだ!
さらに、周王室の許可なく勝手に紀(き)国を攻撃!
紀の君主はこれに激怒し、「哀王は謀反を企てている!」と周王室に訴えたんだ。
夷王はついに堪忍袋の緒が切れ、諸侯を集めて哀王を討伐することを決定!
哀王はあっという間に捕らえられ、夷王の前に引き出されたんだ。
しかし、哀王は最後まで反省の色を見せず、「我は太公望(姜子牙)の末裔だ!誰にも裁く権利はない!」と豪語したんだ!
これには夷王も激怒!
哀王を煮殺しにするという、残酷な刑罰を下したんだ。
四、まとめ
姜子牙の華々しい活躍とは裏腹に、その子孫は悲惨な末路を辿ってしまったんだね。
斉の哀王の傲慢な態度と暴走は、自業自得と言えるかもしれない。
名将・姜子牙の血を引いているにも関わらず、その精神を受け継ぐことなく、驕り高ぶって民を顧みなかった哀王。
彼の末路は、歴史の教訓として語り継がれることだろう。