張学良がもし「西安事件」後、蒋介石の束縛から逃れ、建国に参加していたら…?その役職を大胆予想!
公式評価では、張学良は「西安事件」で、蒋介石に抗日を促し、共産党を救った英雄。しかし、民間では、東北三省を日本に明け渡した裏切り者という声も…。
もし彼が解放戦争中に救出され、建国に参加していたら、元帥になれたのか?政府で要職に就けたのか?
建国後の行政レベルでは、最高は行政一級。毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳の4偉人と、宋慶齢、李済深、張瀾の3人の党外人士のみが享受しました。
鄧小平、陳雲、林伯渠、董必武などは行政二級待遇。
十大元帥は政治局委員や軍委委員であり、行政三級待遇でした。
張学良は東北易幟後、蒋介石から異姓の兄弟として遇され、中華民国海陸空副司令、一級上将の軍銜を授与されています。行政職で言えば、十大元帥よりも上。
しかし、彼の民国政府での役職、共産党への貢献、西安事件の功績を考えると、建国後に元帥を授与するのは不適切かもしれません。
曽沢生や龍雲のような元国民党将軍は、建国後も軍権を保持しましたが、張学良の影響力や政治力は彼らとは比較になりません。また、勝利者の法則から考えると、彼を十大元帥と並べ、軍権を与えるのは、国民感情的に難しいでしょう。
軍隊での任用が難しい場合、政府ではどのような役職が適切でしょうか?
宋慶齢の待遇が参考になるかもしれません。中華民国「国父」孫文の未亡人である宋慶齢は、建国初期に国家副主席を務め、晩年には中華人民共和国名誉主席を授与されました。
西安事件での功績、統一戦線の考慮から、全国人民代表大会の副委員長か、政治協商会議の副主席が妥当でしょう。あるいは慣例に従い、晩年に政治協商会議名誉主席または名誉委員長の称号が与えられるかもしれません。