「花木蘭」だけじゃない!中国史に名を刻む、熱き女傑たちの物語。今回は、商王朝を支えた武丁王の后、「婦好(ふこう)」にスポットライト!彼女は、ただの后妃ではなかった…!
賢帝・武丁を支え、政治・経済を発展させた敏腕后妃であると同時に、自ら軍を率いて戦場を駆け巡った、まさに「最強の女戦神」だったのです!
記録によると、武丁は婦好に全国の兵士の10分の1を与え、その信頼は絶大でした。しかし、彼女はわずか33歳でこの世を去ってしまいます。武丁は深く悲しみ、手厚く葬ったと伝えられています。
【婦好墓から出土した玉器コレクション】
婦好の墓からは、なんと755点もの玉器が発掘されました。棺の中や、遺体の周りに置かれていたこれらの玉器からは、当時の文化や社会構造が垣間見えます。祭祀に使われた玉礼器や、武器を模した玉兵器、そして、人物や動物を象った玉製品など、バラエティ豊かなラインナップです。
【跪く玉人:商王朝のファッションリーダー!?】
特に注目すべきは、跪く姿の玉人です。その服装は、文献に残る周王朝の冕服に似ており、当時の貴族の服装を知る上で貴重な資料となります。腰に巻かれたベルトや、膝を覆う蔽膝など、細部にまでこだわったデザインは、まさに当時のハイファッション!孔子が言うように、周王朝の礼服は、商王朝の文化を受け継いでいることがわかります。背中から伸びる謎の突起物の用途は、未だに謎に包まれています…!
【奴隷の玉人:身分の違いを表現!?】
婦好墓からは、貴族だけでなく、奴隷を模した玉人も発見されています。服装や髪型に違いが見られ、身分制度があったことを示唆しています。貴族の玉人は華やかな衣装を身につけていますが、奴隷の玉人は裸足で髪も短く刈られています。
【蛇状の玉石:神秘的なパワーを秘めている!?】
婦好墓からは、蛇を模した玉石も出土しています。蛇は、古代中国において、豊穣や生命力の象徴とされてきました。この玉石も、婦好の権力や地位を示すものだったのかもしれません。
【玉跪人:過酷な労働を強いられた人々の姿!?】
髪を短く刈られ、服を着ていない玉跪人は、罪人や捕虜だった可能性が考えられます。彼らは、青銅器を運ぶなど、過酷な労働を強いられていたのかもしれません。
【抽象的な玉人:性別の境界線を超えた存在!?】
片面が男性、もう片面が女性として彫刻された抽象的な玉人も発見されています。これは、性別の境界線を超えた、特別な存在を表しているのかもしれません。
婦好は、文字記録に残る最初の女性リーダーの一人です。彼女の功績は、歴史の波に埋もれてしまいましたが、墓から出土した文物を通して、その波瀾万丈な人生を垣間見ることができます。さあ、あなたも婦好の魅力的な世界に足を踏み入れてみませんか?