江戸時代にタイムスリップ!?江西省の虎騒動記:仙人現るもまさかのオチ!?【歴史ミステリー】

清朝の康熙帝の時代、人口が爆発的に増加しました。それに伴い、山を焼き畑にする開墾が進み、新たな問題が発生しました。それが虎による被害、いわゆる虎災です。中でも江西省が最も深刻でした。

例えば、鄱陽湖周辺では、虎が頻繁に出没し、群れをなしていました。20世紀50年代になっても、九江威家鎮の呉順桃という人物が、廬山周辺で7、8匹の虎を捕獲したという記録が残っています。

しかし、吉安府の永新県と比べると、まだマシな方でした。永新県の状況は、史料によると、まさに悪夢のようでした。

康熙5年(1666年)、永新県で虎災が発生し、周辺の村で100人以上が犠牲になりました。城内には砂利や茂みが多く、虎がその中に潜んで人を襲い、鎮将の馬を厩舎から攫って食べることもあったそうです。

雍正2年(1724年)にも、永新県は再び虎災に見舞われ、9年間も続きました。この間の死者は1000人近くに達しました。

ここの虎は凶暴なだけでなく、まるで知能を持っているかのようでした。

乾隆帝の時代になると、地元の人々は虎を捕獲しようとしましたが、猟師たちが囲んで銃を十発撃っても傷一つ負わせることができませんでした。薬を塗った矢を放っても、虎はそれを避けて通ったり、矢をくわえて去ったりしたそうです。人々は虎を神のように恐れました。

地元の住民は虎の話をするだけで顔色を変え、虎に関する恐ろしい伝説が数多く残されました。

乾隆帝の時代、永新県で数人の商人がラバを連れて、曲がりくねった山道を歩いていました。周囲は険しい山々に囲まれ、雲や霧が立ち込めていて、人々は不安を感じていました。

すると、前方の人里離れた山道に、いつの間にか払子を持った道士が立っていました。青い衣を身につけ、棕櫚の笠をかぶったその姿は、まるで仙人のようでした。

道士は商隊が近づいてくるのを見て、払子を振り、そのうちの一人に手招きして尋ねました。「お前の名前は何というのか?」

その男は戸惑いながらも、丁寧に答えました。道士はさらに尋ねました。「お前の出身地はどこか?」

商人が答えると、道士は微笑んで言いました。「お前で間違いない!お前はもともと天界から追放された仙人だったが、期限が満了したため、天界に戻らなければならない。私はお前の師だ。迎えに来た。さあ、私と一緒に行こう。」

商人、これを聞いて心の中で考えました。

自分は大して字も読めないし、頭も鈍い。商売をしてもいつも損ばかりしている。そんな自分が仙人の生まれ変わりだなんてありえない。

それに、家には年老いた両親がいるし、妻や子供たちは食べ物に困っている。どうして彼らを捨てていくことができるだろうか?

そう考えた彼は、きっぱりとした態度で、何度も断り、道士について行くことを拒否しました。

道士はこれを見て、ため息をつき、今度は他の人々に言いました。

「彼が堕落して仙人の道に戻りたがらないのであれば、誰かがこの空いた席を埋めなければならない。あなた方は私と出会ったのだから、縁がある。私と一緒に行ける者はいないか?」

人々が顔を見合わせ、黙っているのを見て、道士は口調を強めて言いました。

「これは千載一遇のチャンスだぞ。決して見逃してはならない。本日限定のイベントだ!」

これを聞いた人々は、怪訝な表情を浮かべ、何かおかしいと感じ、誰も返事をしようとしませんでした。

道士は誰も答えないのを見て、怒り、最終的には冷笑し、袖を払って去って行きました。

商隊は宿屋に到着した後、先ほどの出来事について熱心に話し合いました。他の人もあれこれと議論し、「仙人に迎えに来てもらったのに、行かないのはもったいない」と言う人もいれば、「妖物がいたずらをしたのかもしれない。行かないのが賢明だ」と言う人もいました。

何気ない一言でしたが、それを聞いた人の中には、好奇心に負けて、次の日に本当にその道を探しに行った人がいました。

すると、山に登ったところで、草むらが荒らされており、そこには虎に食い荒らされた死骸が転がっていました。肉はむき出しになり、見るも無残な姿でした。その人は恐ろしくなり、逃げ帰り、人に会うたびに運が良かったと話しました。

そう考えると、あの道士は虎が化けたものか、虎の手下だったのかもしれません!永新県の虎は本当に恐ろしいですね。

やはり、うまい話には裏があるということですね!

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