項羽はなぜ烏江を渡らなかった?実は〇〇だった!【歴史ミステリー】

楚の覇王、項羽。誰もが知る英雄ですが、なぜ烏江で自害したのでしょうか?項羽は決して愚かではありませんでした。彼が発見した「秘密」とは?

鴻門の会で劉邦を殺害できたにも関わらず、逃がしてしまった項羽。烏江にたどり着き、船頭が救おうとしましたが、項羽は逃げることを拒否し、自害しました。多くの人々は、項羽が優しすぎた、江東に戻って再起を図るべきだったと批判します。

秦の始皇帝の巡幸を見た項羽は、「必ず取って代わってやる」と言い放ちました。挙兵以来、数々の勝利を収め、多くの少数で多数を打ち破る戦績を上げました。劉邦を眼中になく、先に咸陽に入った者を王とすると約束しましたが、劉邦に先を越されてしまいます。鴻門の会では劉邦を殺す絶好の機会でしたが、項羽は策略を好まず、劉邦を見逃しました。

なぜ項羽は死を覚悟しながらも、烏江まで逃げたのでしょうか?実は、烏江を見てから自害を決意したのです。その理由は、江東の民が項羽の大業のために戦場で命を落とし、項羽自身が劉邦の目の敵となっていたから。

もし江東に戻れば、劉邦は根絶やしにするために江東の民を苦しめるでしょう。だからこそ、烏江を渡らず、自害することで、一人の項羽の命と引き換えに江東の民を守ろうとしたのです。そして、愛する虞美人との別れ。英雄としての真情が、項羽を烏江で自害させたのです。