古代の墓から出土する遺物は、しばしば後世の人々が古代社会に対する認識を新たにしたり、理解を深めたりするきっかけとなります。例えば、古代の書物には、数百杯もの美酒を貯蔵できる「鸚鵡杯」と呼ばれる神秘的な杯が存在したと記されています。しかし、その非科学的な性質から、長い間、伝説として扱われてきました。ところが、20世紀になって東晋の古墓から鸚鵡杯が発見され、その真相が明らかになったのです。そして2006年、西安地区で発見されたある古墓の副葬品も、現代の人々に古代社会に対する新たな視点を与えました。
その墓の様式は秦朝前後のものと見られ、墓から出土した文物や墓誌銘などから、墓の主が「夏姬」という秦の女性であることが判明しました。歴史上、夏姬はあまり知られていませんが、彼女の孫は中国では誰もが知る人物です。それは秦の始皇帝です。客観的に見ると、夏姬がいなければ、秦の始皇帝の運命は大きく変わっていたかもしれません。当時、秦の昭襄王の太子が亡くなり、やむなく昭襄王は赢柱を太子に冊立しました。赢柱には多くの妻妾がいましたが、最も寵愛していたのが夏姬でした。しかし、夏姬には子供がいなかったため、深く悩んでいました。
そんな折、呂不韋の策略によって、赢柱に冷遇されていた息子——嬴異人が夏姬の養子となります。この嬴異人が秦の始皇帝の父となるのです。夏姬の尽力により、嬴異人は赢柱の死後、秦王の座を継承することができ、秦の始皇帝は嬴異人の王位を継承しました。つまり、夏姬がいなければ、嬴異人親子は一生趙国で人質として過ごしていた可能性が高いのです。
夏姬は秦の始皇帝の血縁上の祖母ではありませんでしたが、秦の始皇帝は彼女を軽んじることはありませんでした。秦の始皇帝は、夏姬の過去の決断に感謝し、彼女に手厚い待遇を与えました。夏姬が亡くなると、秦の始皇帝は太后の規格で夏姬を埋葬し、彼女の陵墓には青銅器をはじめとする多くの珍品や、秦の人々が神獣と見なしていた生物が副葬されました。
2006年は秦朝滅亡から22世紀が経過しており、神獣の遺体は白骨化していました。その中でも、ある神獣の頭蓋骨が専門家の注目を集めました。その頭蓋骨は人間の頭蓋骨に非常によく似ていましたが、人間のものではないようでした。この半獣半人の頭蓋骨は、一体何の生物のものなのでしょうか?この問題は、国内の専門家たちの間で長らく議論と困惑を呼びましたが、結論は出ませんでした。しかし、2009年になって事態は好転します。
その年、数人のアメリカ人生物学者が学術訪問のために中国を訪れました。偶然、アメリカ人学者はその頭蓋骨の話を聞き、ぜひ見てみたいと申し出ました。関係当局の手配により、アメリカ人学者は夏姬陵墓から出土した古代生物の頭蓋骨を見ることができました。アメリカ人専門家が鑑定した結果、その頭蓋骨はテナガザルの頭蓋骨であると結論付けました。しかし、テナガザルには多くの種類があり、夏姬陵墓から出土したこのテナガザルの頭蓋骨は、これまで発見されたテナガザルの頭蓋骨とは明らかに異なっていました。これは、千年以上前に絶滅したテナガザルの頭蓋骨であると考えられます。
つまり、秦の始皇帝の時代には、この種のテナガザルの生き残りが存在し、秦の人々はそれを珍しい獣と見なしていたのです。夏姬は生前、このテナガザルを愛していたのかもしれません。そこで、夏姬が亡くなった後、秦の始皇帝は夏姬が別の世界でもテナガザルに付き添われることを願い、テナガザルを夏姬の陵墓に殉葬しました。そして2006年、夏姬陵墓が発見され、22世紀もの間、土に埋もれていたテナガザルの頭蓋骨が、再び日の目を見たのです。
このテナガザルは初めて発見された種であったため、「帝王君子テナガザル」と名付けられました。そして、この頭蓋骨の発見は、生物進化の研究に重要な役割を果たしました。生物進化の研究には物証が必要であり、生物学的証拠の不足は、生物学研究者を悩ませることがよくあります。テナガザルの頭蓋骨の出土は、生物研究に貴重な証拠を提供したのです。