秦の始皇帝陵を守る兵馬俑。「世界八番目の不思議」とも称されるその発掘は、世界を震撼させました。1974年、西安の農民が偶然発見した数体の陶俑がきっかけとなり、考古学的な大発見へと繋がったのです。
発掘当時、兵馬俑は色鮮やかでしたが、数分後には退色してしまいました。しかし、一体だけ原色を保った俑があります。それは、海外への持ち出しが厳禁されている「緑顔俑」です。これらの人俑は、実物大を参考に制作されたと考えられ、一体一体異なる表情を持っていることから、古代秦の職人たちの技術力の高さが伺えます。
秦以前の墓からも陶俑は出土していますが、その大きさは非常に小さいものでした。なぜ秦の始皇帝の時代になって、これほど巨大な人俑が作られるようになったのでしょうか?
そんな中、兵馬俑の発掘は、歴史学者のニコル氏の目に留まりました。彼は「兵馬俑の制作技術は、古代ギリシャの彫刻技術を参考にしたものだ」と主張しました。この説は、中国国内で大きな議論を呼んでいます。
ニコル氏によると、古代ギリシャにも兵馬俑と同様の彫刻が存在し、その制作方法も酷似しているとのことです。彼は、アレクサンダー大王がインド、チベットを征服した後、古代中国へ侵攻しようとした際、秦の恵文王と対峙したという記録を根拠として挙げています。しかし、この戦いの詳細な結果は記録されておらず、恵文王がアレクサンダー大王に降伏し、財宝を献上したという説も存在します。
しかし、中国の専門家たちはこの説を否定しています。彼らは、アレクサンダー大王に関する記録は自己を美化し、中国を貶めるためのものではないかと疑っています。真相は、さらなる歴史資料の検証と考古学的な調査によって解明されるでしょう。