亮性長于巧思、損益連弩、木牛流馬、皆出其意。——《三国志・蜀書・諸葛亮伝》
これは『三国志』における諸葛亮の評価です。
諸葛亮
誰もが知るように、諸葛亮は頼りになる臣下でしたが、常に薄氷を踏む思いでした。誰もが劉備が諸葛亮を重用し、劉禅が諸葛亮に従ったことを知っていますが、蜀の二人の君主は常に諸葛亮を警戒していました。諸葛亮は臣下としての道を堅く守ったからこそ、命を全うし、善終を遂げることができたのです。
劉備が自分を漢室の末裔だと吹聴していたのに対し、諸葛亮の身分はさらに高貴でした。諸葛亮の祖先は官僚の家柄だったのです。諸葛氏は後漢の時代、琅琊郡の名門であり、多くの後漢の重臣を輩出しました。諸葛亮の先祖である諸葛豊は、前漢の司隷校尉を務め、諸葛亮の父である諸葛珪は泰山郡丞を務めました。
劉備のいわゆる漢室の末裔という身分は、彼が自慢しているだけで、実際の証拠はありません。諸葛亮は青年期になると、その才能が荊州全体に知れ渡り、山に隠棲して良き君主を待ちました。その後、落ち目の犬のような劉備が、諸葛亮の才能を知り、三顧の礼をもって諸葛亮を迎えました。
劉備の三顧の礼
この間、劉備は諸葛亮を信頼し、重任を委ねました。その後、赤壁の戦いや益州の占領などの過程で、諸葛亮は大きな功績を立てました。章武二年、劉備は二弟である関羽の仇を討つため、東呉に遠征して失敗しました。劉備は白帝城に退却し、病に倒れ、諸葛亮を呼び寄せて後事を託しました。
この時の諸葛亮は位が高く権力があり、蜀の丞相として、蜀の権勢の大部分を掌握していました。諸葛亮は劉禅を連れて白帝城に行き、瀕死の劉備を見て、声を上げて泣きました。劉備も諸葛亮が自分の息子の権力を簒奪することを心配し、わざとこう言いました。「劉禅には君主としての才能がない。卿には国を治める大才がある。劉禅を補佐できるなら補佐し、補佐できないなら、卿が自ら主となれ」
諸葛亮は肝を冷やし、急いでひざまずいて頭を下げ、恭しく答えました。
「臣、敢えて股肱の力を竭くし、忠貞の節を効し、之を死を以て継がん!」
劉備は諸葛亮のこの言葉を聞いても安心できず、李厳と諸葛亮をともに後事を託す大臣に任命しました。李厳は東州の人であり、彼が率いる東州派は、諸葛亮が率いる荊州派と対立していました。劉備が李厳を抜擢したのは、諸葛亮を牽制し、劉禅が帝位を安定させるためでした。
劉備、白帝城で後事を託す
劉備は諸葛亮をどれほど信用していなかったのでしょうか。劉備が亡くなる時、蜀の五虎将は皆侯に封じられましたが、諸葛亮だけは丞相でありながら侯位を与えられませんでした。劉備の晩年から劉禅が在位するまで、諸葛亮は薄氷を踏む思いで、蜀のために尽力しなければならない一方で、君主の不興を買うこともできませんでした。
劉禅が即位すると、国の軍政の権力を諸葛亮に委ねましたが、同様に李厳を用いて諸葛亮を牽制しました。劉禅は愚鈍に見えますが、実は非常に賢く、丸投げすることで、諸葛亮に死ぬ覚悟で自分のために尽くさせようとしたのです。建興十二年、諸葛亮は北伐の途中、五丈原で病死しました。
李厳
諸葛亮は臨終の際に遺言を残し、記録にはこうあります。
「亮、遺命して漢中定軍山に葬る。山を以て墳と為し、冢は棺を容るるに足るべく、斂は時服を以てし、器物を須いず。」
諸葛亮は自分を薄葬するように命じましたが、劉禅は丞相の功績が大きいことを理由に、諸葛亮を盛大に葬りました。諸葛亮が無事に天寿を全うできたのは、かつて劉禅と交わしたある会話が、自分の命を救ったからです。諸葛亮が出征する前に、劉禅はかつて諸葛亮に、丞相の子孫をどのように封賞すべきかを尋ねました。
劉禅
諸葛亮は劉禅にこう答えました。
「成都有桑八百株、薄田十五頃、子弟衣食、自有余饒。」
諸葛亮は劉禅に「自分の家には桑の木が八百本、十五頃の田畑があり、子孫は食べ物に困ることはないでしょう。もし自分が死んだ後、家に余分な財産があれば、それは先帝と陛下に申し訳ないことです」と答えました。この言葉を聞いて、劉禅は諸葛亮の心意を理解し、彼に警戒心を抱かなくなりました。
劉禅がこの質問を投げかけた後、諸葛亮は劉禅が愚かではなく、馬鹿なふりをしていることに気づきました。劉禅は四十二年間在位しましたが、これは歴史上の多くの君主よりも長い期間です。もし劉禅が本当に愚かであれば、これほど長く在位することはできず、蜀はとっくに倒されていたでしょう。
諸葛亮の答えは、最終的に劉禅を満足させ、劉禅はついに相父に心を許しました。諸葛亮が五丈原で病死した後、劉禅は諸葛亮の遺命を無視し、諸葛亮を盛大に葬りました。諸葛亮の死後、劉禅は諸葛亮の息子である諸葛瞻を平尚書事に任命しました。
諸葛亮、病死
諸葛瞻は公主を娶り、武郷侯の爵位を継承し、まさに栄華を極めました。諸葛亮は臣下としての心を堅く守り、劉備、劉禅の二人の君主に忠誠を尽くし、彼らの警戒心を解き、最終的に天寿を全うすることができました。諸葛亮の忠誠は、子孫に安定をもたらし、彼らが平穏な一生を送ることを可能にしたのです。