【衝撃】李鴻章、NYの高層ビル群に言葉を失う!「清ではありえない…」当時の様子がヤバすぎた

清朝末期、西洋列強の搾取により国家は暗黒時代に突入。経済は停滞し、外交大臣であった李鴻章は奔走するも、嘲笑と侮辱を受ける日々でした。彼は自国の軍事力強化の必要性を痛感し、北洋水師を創設しますが、軍費の不正流用により発展は頓挫。日清戦争で北洋水師は全滅という悲劇を迎えます。

屈辱に耐え、嘲笑を受けながらも、李鴻章はアメリカへ渡り、自国の状況を訴えようとします。当時72歳という高齢であり、多くの経験を積んでいた彼ですが、アメリカの高層ビル群を目の当たりにした時、その衝撃を隠すことはできませんでした。清朝には存在しない光景だったからです。

ニューヨークの街を歩き、李鴻章は初めて清朝の遅れと技術の停滞を痛感します。様々な場所を視察した後、彼は同行していた記者に対し「貴国には多くの高層ビルがある。20階を超える摩天楼を目の当たりにしたが、わが清国にはそのような建物はなく、建設する能力もない」と語りました。記者は沈黙し、李鴻章の言葉に込められた意味を理解しようと努めました。

随行員たちも李鴻章の言葉を聞き、考え込んでいました。清朝の複雑な状況、そして西太后による鎖国政策…。清朝に資金と技術があったとしても、西太后がそれを許さなかったでしょう。

かつて西太后は初めて自動車を見た際、「こんなに早く走る馬は、さぞかし草をたくさん食べるのだろう」と言ったそうです。居合わせた人々は、その無知さに笑いをこらえるのに必死でした。時代に取り残された西太后に、李鴻章が見聞きしたことを伝えても、アメリカを見習って新たな建築物を建設することは許されなかったでしょう。

これが清政府が高層ビルを建てられなかった理由です。その後の訪問で、アメリカは清朝を見下しながらも、李鴻章には最大限の敬意を払い、手厚くもてなしました。日本での扱いとは全く異なり、イギリスの記者は李鴻章を「東洋のビスマルク」と呼びました。しかし、李鴻章に対しては、彼が締結した数々の不平等条約から、民族の罪人として糾弾する声も多くありました。